「同一価値労働同一賃金論」批判

合同・一般労働組合全国協議会事務局長 小泉義秀

はじめに

権力筋の雑誌『選択』(2016年4月)は連合幹部の話として安倍が何故「同一労働同一賃金」唐突に打ち出してきたのかその理由を以下のように解説する。
「これには、同一労働同一賃金の実現を大きな目標とするUAゼンセンなど連合内の民間労組中心の右派系労組(旧同盟系)と、公務員労組などの左派系労組へ旧総評系) の分断効果もある。この問題が夏の参院選の主要争点の一つとなるのは確実だが、両者のせめぎあいの中で、連合としては態度を暖昧にせざるをえない」(54~55頁)
さらに『選択』6月号は「化学総連に続いて『金属労協』も離脱 四分五裂する労組『連合』」という見出しを掲げて、連合の解体状況について述べている。安倍が仕掛けた旧同盟系の切り崩しも加わり、「民共合作」が火に油を注いだという。「野党共闘」と連合も戦後労働法制の抜本的改悪、原理的転換の前に自滅の道へ転落している。
問題は「同一労働同一賃金」を掲げることに、何故分断効果があるかである。同一価値労働同一賃金論を正しく批判している労働組合も党派も我々以外にない。逆にこの賃金論が正しいとされている。総体としてこの論理に屈服しているのが現状である。分断効果レベルではなく、この攻撃は労働法制改悪攻撃の核心をなす。賃金は労働者分断支配の根幹だからだ。
この攻撃の核心は「正規か、非正規かといった雇用の形態にかかわらない均等・均衡待遇を確保する。そして、同一労働同一賃金の実現に踏み込む」(『一億総活躍プラン』)にある。正規雇用を無くして多種多様な雇用形態で労働者を分断する手段、労働者を団結させない攻撃として使われようとしているのが「同一価値労働同一賃金」原則なのである。同一価値の労働に対して同一の賃金が支払われれば良いというのが同一価値労働同一賃金論者の主張だ。だから彼らにとっては正規・非正規は関係ない。8時間労働で1万円の労働は4時間で5千円の労働に等しい。これが同一価値労働同一賃金原則だ。時短労働者にも同じ同一価値労働同一賃金を支払えという要求はこれで達成されたことになる。1日5千円の賃金では生きていけないということに彼らは関心がない。同一価値労働同一賃金原則は賃金水準がいかに決まるかは関係がないのである。更に彼らの論理では半分の価値の労働は半分の賃金で良い、さらに5分の1の価値の労働は5分の1の賃金で良いということになる。UAゼンセンや共産党系の生協労連が推進している同一価値労働同一賃金はこれだ。したがって限定正社員制度、有期雇用の無期転換による「準正社員」のような新たな非正規雇用、多種多様な非正規雇用に対応した、「同一価値労働同一賃金原則が貫かれていれば雇用形態は関係がないだろう」というのが安倍の論理だ。労働契約法20条や、派遣法、パートタイム労働法における「不合理な」ものを禁止するという論理は正規・非正規雇用という雇用形態による最大の「不合理」と差別を容認したうえで、賃金等の差別・違いの「不合理」を同一価値労働同一賃金原則で覆い隠してしまおうというのである。更にこの論理で正規雇用の雇用形態と賃金の在り方を全面的に破壊しようとしているのである。安倍の同一労働同一賃金攻撃はそういう性質のものである。
安倍は消費税率増税を延期しても「財政健全化目標を維持」するとしている。一億総活躍プランでは保育士や介護士の待遇改善を掲げ、それには少なくとも1・5兆円の金が必要になる。しかし安倍は赤字国債をこれ以上発行しないで財政健全化を図るという。どこから金を出すのか?
労働法制の全面改悪、全労働者の非正規化によってそれらを貫徹しようとしているということだ。JR、郵政をはじめ、教育労働者、公務員労働者の非正規化攻撃を画策しているということだ。その攻撃の環に「同一価値労働同一賃金」攻撃があるのだ。
「ニッポン1億総活躍プラン」の同一労働同一賃金原則はEU法を模範とするとある。EU法は客観的な理由があれば、賃金に差を設けるなどの取扱いも認められると述べ、その客観的な理由の例としてフランスでは提供された労働の質の違い、在職期聞(勤続年数)の違い、キャリアコースの違い、企業内での法的状況の違い、採用の必要性(緊急性)の違いなど、ドイツでは、学歴、(取得)資格、職業格付けの違いなどを挙げている。こういう但し書きが前提となる同一価値労働同一賃金原則は、UAゼンセンが進めている「価値の違う労働には違う賃金が支払われて当然」という低賃金・差別賃金が法律として固定化されることになる。鳴り物入りで導入される出鱈目な同一価値労働同一賃金は敵の破算の現れだ。連合系労働雑誌『労働調査』3月号が同一価値労働同一賃金の特集を組むと、日本共産党の理論誌『前衛』6月号も同一賃金同一労働の特集を組み、安倍の同一労働同一賃金を共に担う立場で労働者を組織しようとしている。しかし、連合や日本共産党が安倍と一体になって襲い掛かる構造の中に今の階級攻防がはっきりと見える。裏切者がだれで、誰が階級的に闘う存在であるかがよくわかる構造だ。この出鱈目な賃金論を理論的にも運動的にも粉砕することは可能だ。全国協がその先頭に立ってUAゼンセンや生協の労働者を組織していく。全国協1000-1万の隊列をこの選挙戦の闘いの中で登場させる。改憲・戦争と労働法制大改悪に突き進む安倍を打倒しよう!

第1章 電産型賃金体系の歴史的意味

第1節 賃金とは何か?


「労働力は、ただ生きている個人の素質として存在するだけである。したがって、労働力の生産はこの個人の存在を前提する。この個人の生産が与えられていれば、労働力の生産は彼自身の再生産または維持である」(『資本論』国民文庫版 ①299頁)
労働力の生産・再生産は労働者個人の生存の維持・再生産である。それは労働者が生活手段を消費することによってなされる。生活手段というのは米や肉や野菜、魚など食べ物だ。更に下着、ズボン、パンツ、シャツ、背広、ジャンバーなどの衣類、布団、電気製品、家、部屋代、ガソリン代・灯油代、電気代、水道料金、ガス代等々労働者が生きていくために必要なものすべてだ。当然ながら労働力の維持・再生産のためには支出された労働力を回復し、明日もまた同じ条件で労働することができなければならない。このようなものとしての生活手段の価値、即ちそれらの生活手段の生産のために必要な労働時間が労働力の価値を規定する。労働力の価値は労働力の所有者の維持のために必要な生活手段の価値である。労働力の価値は間接的に必要生活手段の価値によって規定される。したがって資本は労働力の価値を限りなく低下させるために必要生活手段の価値を低下させようとする。指輪やネックレスなどの装飾品のようなものでなく、生きていくために必要な生活手段の価値が下がれば労働力の価値も低下して賃金は下がる。しかし資本は労働者に一定水準の生活を保障することを使命としているわけではない。したがって「価値通りに支払え」という賃金要求が正しいわけではない。労働力の価値には相当な幅がある。パンの耳を食いながら、水を飲んで労働することもできる。今非正規の青年労働者はこういう状況に置かれている。これも資本にとっては価値通りの支払いであり、生活給としての賃金だ。更に資本は労働力の価値以下の賃金しか支払わないこともある。平均値として価値通りということは価値以下の場合もあるということだ。労働力が再生産できないほどの低賃金を強いられ、長時間労働と過密労働が継続すれば労働者は過労死したり、精神疾患に陥る。
しかしながら我々の賃金要求はこういうものではない。正しい賃金の在り方などない。賃金は労働者の差別分断支配の最大の道具だ。したがってわかりやすい、明確な賃金の在り方が望ましい。下山房雄が述べているように、「大企業正規雇用労働者が維持している学歴=大職種群別の年功賃金への均等化実現」(牧野富夫編著『アベノミクス崩壊』新日本出版2016年6月刊所収「終章 アベ政治とアベノミクスの現段階-一億総活躍社会と同一労働同一賃金」)という、一番高い労働者の賃金群にすべての労働者の賃金を均等化しろというのが正しい賃金闘争の在り方だ。資本主義社会において賃金が公平・公正・平等に支払われることは無い。学歴・資格・技能・経験等の差による賃金が異なるのは不可避だ。問題はその格差の量だ。賃金を通して労働者を分断し、団結させないようにするのが資本の在り方である。そうであるならば、逆に労働者の団結に結びつくような賃金闘争に転化することが必要だ。賃金による分断支配の在り方は百の企業があれば、百の方式がある。現場の労働者が一番納得できる、団結に寄与する闘いを生み出すことだ。
「労働者にとって『よい賃金』とは、『高い賃金』のことであり、『よい賃金体系』とは『賃金が上がるような体系、つまり労働者の統一と団結を強め、労働組合の闘争力を強化して賃金が上がるのに役立つ体系のことである』…くどいようだが、賃金水準こそが基本的な問題だということは、はっきり理解してほしい」(『賃金体系と労働組合(上)年功賃金、職務給・職能給』高木督夫、深見謙介著 労働旬報社 1974年刊 14頁)という視点が極めて重要だ。
同時に労働力は消耗と死によって市場から引き上げられる。どんなに少なくとも同じ数の労働力によって絶えず補充されなければならない。だから労働力の生産に必要な生活手段の総額は、労働者の子供の生活手段を含んでいる。労働者個人の再生産だけでなく労働者階級という種族の再生産を通じて労働力の世代的再生産を確保することも必要になる。したがって子供の養育費含めて賃金要求に含めるのは当然のことだ。

第2節 電産型賃金体系=差別賃金の原型としての批判は正しいのか?

同一価値労働同一賃金原則を掲げる論者に共通しているのは「電産型賃金体系」批判である。代表的な人物である木下武男の『日本の男女賃金差別と同一価値労働同一賃金原則』(特集 女性と労働 明石書店 2004年)の電産型賃金を批判した論文を検討する。
木下武男は電産型賃金体系を批判する前提として「賃金は生計費に結びつき、その指標が年齢という関係になっている。この考え方が生活給思想である」(97頁)と規定し、「生活給思想は『年齢給』型年功賃金として戦時中に国家によって社会規範とされ推奨された」(同)と続ける。
「敗戦の年、1945年2月、厚生省と軍需省共同でつくった『勤労規範草案』は、給与について『生活の基本は家に在り、人長ずるに随って、夫々斉家の責任を負う。これ給与の支給に当たり、年齢と家族とに考慮を払う所以にして、之を基本給となし、給与の根幹たらしむるべし』と述べている。この時期に確立した生活給思想は、家族の長たる男性を中心にして賃金は労働者家族の必要に応じて支給されるべきであり、具体的には年齢と家族数という要素を重視する考え方である」(同)
生活給思想は、「銃後の守り」としての家族の生活保障の規範として労働運動のあるべき賃金論の装いをもって受け入れられ、労働者家族を扶養するためには生計費の上昇に賃金が対応することが当然とされ、そしてその生計費は男女で異なることを主張するという決定的誤りへと展開した。「こうして労働運動の世界では男女で賃金が異なること、また異なる賃金要求を行うことが当然とされてきた。この生活給思想が男性中心の労働運動で受容されてきたために、企業の人事管理政策と相俟って、女性の賃金差別が温存され続けてきたのである」(98頁)と結論づける。
この木下の論で注目すべき論点は「つまり、賃金は『労働力の価値』であり、労働力の再生産費であるというマルクスの賃金論に依存する。ここはよいとして」(同)と直接マルクスを批判することはしていないことだ。しかし、生活給思想がマルクスの賃金論であり、それは戦時中に国家が「銃後の守り」として提唱した考え方と同じなのだと展開しているのである。木下はこの生活給思想の原点が電産型労働運動であるとこの論文では主張していない。しかし『日本人の賃金』(平凡社新書 1999年8月20日第1刷)では電産(日本電気産業労働組合協議会)型賃金は戦後の労働運動が獲得したものであり、高く評価されてきたが「年齢と家族数を基本にしつつ、能力給部分の査定を会社にゆだねる賃金制度でした」(145~146頁)「特定企業の従業員の生活だけを考え、しかも、年功的に処遇されればよしとする考え」(147頁)が電産型の賃金制度であり、のちの全国自動車(全自)と比べると志が低いとこき下ろしている。電産型賃金体系が男女差別賃金の源流であり、それを打破する考え方と運動が同一価値労働同一賃金原則と結論づけるのだ。
木下武男は1945年2月の厚生省と軍需省共同でつくった『勤労規範草案』が生活給思想の確立と主張するが『日本の賃金制度:過去、現在そして未来』(『経済研究』明治学院大学 第145号 2012年 笹島芳雄)によれば生活給思想を明確に打ち出したのは1922年(大正11)、呉海軍工廠の伍堂卓雄による『職工給与標準制定の要」である。「生活費の上昇により。家族扶養に必要な賃金が実現できていないことから、賃金は年齢と共に増加する方式とした方がよい」(34頁)と書かれている。更に「職工は一定年数を経ると技能にはほとんど差がないことから,従来の賃金では若者は余裕が生じ、金銭を浪費する傾向がみられる」「一人前の職工の賃金は家族の扶養に差し支えのない程度とせざるを得ない」(同)とあることを見ると熟練や能力により賃金を上げていくのではなく、家族を養えるだけの最低限の賃金に抑え込むという考え方が強い。笹島論文によれば家族手当が始まったのは第一次大戦(1914~1918年)の間であり、第一次大戦の不況により家族手当は次第に喪失し、1937年の日華事変以後再び復活するという。労働力不足から労働者の争奪が起こり、労働移動が活発化し、熟練労働者の定着対策として家族手当が出現し始めたのだ。
この賃金体系は軍縮と人員削減により実現されなかったそうであるが、1929年(昭和4年)に横浜船渠(せんきょ)が合理的賃金体系として採用したとのことである。
1931年には日華事変が始まり、国家総動員法(1938年)に基づき賃金統制に乗り出す。1939年には第1次賃金統制令により初任給の年齢別公定と昇給内規の届け出認可を盛り込んだ。1939年10月の賃金臨時措置令を契機に家族手当が多くの企業で採用された。賃金引き上げが凍結されるにも関わらず、物価は上昇し、実質賃金は低下し、扶養家族を有する労働者の生活が厳しくなったからである。
笹島論文は「第4節 昭和戦後直後から昭和20年代一生活給の完成」で「電産型賃金体系の構造は、上述の戦時体制下で提案された賃全体系と酷似している。戦後の厳しい経済情勢の下では、生活保障型の賃全制度は労使双方に対して説得力のある制度であり、電産型賃金体系は多くの企業に広がり,生活給の賃金体系がここに確立されたのである。」(39頁)と記している。
鮫島論文により明治・大正・昭和にかけての日本の賃金制度の変遷の概要を知ることができる。木下は生活給思想は戦時中の国家によるものとし、鮫島論文も戦時中の政府による賃金統制下での「生活給」と電産型の賃金体系が酷似している点を指摘している。しかしこれはマルクスの『資本論』の正しさを証明しているのだ。『資本論』は資本主義社会を解剖し、資本主義社会の仕組みを暴ききった。賃金とは何か、労働力商品とは何か? 労働力商品の再生産費とは…。賃金が労働力の再生産費であり、それは生活手段の価値によって間接的に規定されるという理論はマルクスが頭の中で考え出したものではない。資本主義の実態、現実がそうなっているということをマルクスは暴き出し『資本論』で全面展開したに過ぎない。したがって国家や資本が賃金を労働者の生活給であるとするのは資本主義社会の在り方を示しているものとしての必然だ。これができなければ労働力の再生産も次世代の労働力も生産できなくなるからだ。後述する電産の指導部の一人の足立氏は戦前は生計費についての研究がたくさんあったと述べている。ナチスは人間の最低生活はどこまで押し詰められるのか、人間は一体何カロリーまで我慢できるのかという研究を行ったという。日本では睴峻義等(てるおかぎとう)の労働科学研究所が労働者がどこまで最低生活に耐えられるかの研究を行っていたという。1941年に産業報国会の付属研究所になった労働科学研究所(睴峻義等所長)が『最低生活費の研究』(安藤政吉)という著作を出しているごとくである(大阪屋号出版1943年)¹。戦時中の中央物価協力会議が「戦時下労働者をして健全なる生活を営み、労働能率を上昇せしめんが為に、賃金の中に基本給の占むる割合を大にして労働者及びその家族の基本生活費を保障し」と述べているのはナチスや労働科学研究所が行った研究のように労働者が労働力を維持しながらどのくらいの最低生活費で生きていけるのかの立場から出されている。しかしこれは建前で現実には労働者と家族が生きていける賃金など支払わなかった。戦後の電産の生活保障型の生活給を基本とする賃金体系がこれに酷似していると言っても、電産の場合は労働者の労働力の維持や家族を含めて生きさせろという「労働の奪還」の闘いであり、戦時中の国家による賃金統制下の政策と戦後の電産に代表される生活給要求は似て非なるものである。戦後の電産の賃金要求は労働者とその家族が生きていける最低限の賃金をよこせという闘いであり、それが生活給要求となった。したがって木下が言うように国家が提唱した「生活給思想」を戦後電産が実践したという言い方は似て非なるものを同列に扱い、悪意をもって結び付け、電産型賃金体系を同一価値労働同一賃金の理論でケチをつけるためのだ。木下は国家が奨励した生活給思想を戦後の電産が実践し、それが他産別にも波及し、男女差別賃金の源流となったとしているからである。
ネットのウキペディアに暉峻義等の著作(編集)「最低生活費の研究(編)大阪屋号書店 1943 (労働科学叢書)」とある。暉峻は編者であり、著者は安藤政吉であることを下山房雄先生が指摘してくれた。ウキペディアレベルの知識しか私にはなかったが、下山先生によれば1941年に産業報国会の付属研究所になってこういう著作を発刊したとのこと。

第3節 電産型賃金体系の革命性

同一価値労働同一賃金論の論者の一人である遠藤公嗣(こうし)は大原社研雑誌NO.437(1995年4月号)において「電産賃金体系における能力給と人事査定」という論文を発表している。この論文は「電産賃金体系は、生活給を体現するものではなく、能力差にもとづく賃金の格差を是認する日本の労働者の『公平観』を示唆するものとして、 1980代に新たな注目を集めたのである。」(1頁)と、電産型賃金体系が能力主義・差別賃金体系の先駆けを為す賃金体系であると断じ、電産の闘いを貶めようとした。電産中国地本委員長を長くつとめた筒井時雄の所持していた資料や著作、日本発送電資料、電産関西地本委員長の岩気守夫所蔵資料などを駆使して論文を組み立てているが、電産の労働者が当時どんな思いで闘いに立ち上がったのかというその実相に迫ろう、学ぼうという気持ちが全くない、電気を人民管理に置く要求を含めて戦後革命期の日本の労働者階級の闘いの原点を為すような闘いと向き合おうともしていない。
この論文が発表されてから5年後の2000年3月に同じく大原社会問題研究所の雑誌NO.496号に「電産10月闘争と電産型賃金-足立長太郎氏に聞く」が発表された。足立長太郎は電産労組の中央委員であり、常任中央執行委員、のちに産別会議の副議長や事務局長を歴任された電産10月闘争を現場で闘った当事者である。足立氏が遠藤論文を読んだか否かは定かではない。しかし、足立氏の証言は遠藤論文の浅薄な電産労働者に対する誹謗中傷を完膚なきまでに粉砕する内容となっている。
先ず遠藤のいう能力給について足立氏はどのように述べているのか?
質問者の吉田健二(大原社研研究員)は「電産型賃金体系では、基本賃金の範疇に能力給と勤続給を含ませております。結局400円に値切られたわけですが、組合側は当初、一人月額平均800円の能力給を要求していました。いっぽう生活保障給の場合、組合側は30歳で890円を要求しておりました。能力給と生活保障給において賃金要求の面ではあまり差異はないのです。僕は,電産型賃金体系において能力給の要素をかなり重視していることは問題だと思いますが、この点はどうでしょうか。」と率直に聞く。これに対して足立は次のように答えている。
「私らの考え方の基本に、どうすれば資格制度を撤廃できるのか、学歴によらない賃金制度をどう工夫すれば可能か、という問題認識がありました。これらを能力給のなかでまとめて解決したわけです。解決したというよりはむしろ、解決を試みようとしたのです。能力給の査定は、実はあの時点では決まっていなかったのです。とにかく、資格制度や学歴給を撤廃しようという考えが先に立って、能力給の内容、範囲、比重については厳密に検討していなかった面があります。この点は率直にいって認めなければならない。先生のいまの話は、能力給に職階制の要素や、のちの職務給につながる側面があるのではないか、といわれているのかもしれない。資格制度を撤廃し、学歴なんかも一切無視して、組合員として平等な賃金体系を構築しようとしたのですけれども、あの時点では無視し切れなかったのです。能力給の中に、前の尻尾を残すような結果となっていることは認めなければならないのでは。」(66頁)
足立氏は前半部分の証言で戦前の東京電灯の「身分差別」について述べられている。社員と傭員(よういん)の差別待遇である。社員は月給制だが傭員は日給。社員は週休、傭員は月二回の休みしかない。労働時間は社員は8時間、傭員は10時間である。「終戦となって、早い時期に東電に労働組合が結成した背景に、戦前・戦時における身分支配や組合運動に対する弾圧が一つの要因になっていたと思います。」(39頁)とある。
電産は日本発電と全国9配電会社の企業別組合の協議体であり、戦前から続く慣行や個々の事業会社によって賃金条件や形態が違う「雑多多岐の賃金」だった。「電産は、発・送電事業と配電事業の統一を運動方針に掲げていました。この電気事業を一元化的機構に改め、電気事業の社会化を担うためにも、電気産業における労働者の賃金条件を統一的にする必要があったのです。そして電産の場合、経営形態それ自体に全国統一賃金というものが出来る基盤があったのです。」(52頁)
ここでいう「社会化」は人民管理、電気の社会主義経済における社会化が想定されていた。賃金の全国統一賃金要求はそういう電気の社会化と一体の要求だったのである。
「戦前はどの会社でもそうだったと思いますが、何重にも差別がありました。職員と工員、社員と傭員、学歴、男性と女性、あるいは資格の有無やランクによる賃金の区別は歴然となっていて、超えられない大きな壁として存在していました。職員と工員では作業着の型もカラーも、帽子も違っていたのです。入る食堂も違っていた工場もありました…電産型賃金体系で評価されることの一つは、こうした階層的な賃金制度、なかんずく学歴や性別による賃金の不平等を撤廃したことになったと思います。」(同上)
この電産の能力給について産別会議の斎藤一郎は「能力給が平均化され過ぎている」(66頁)と批判したそうである。電産の場合、電気技術士の資格は建築士と同じように1種から3種まであり、1種は大学卒で博士号をもっている人もいた。3種は中卒。電産の能力給はこれらの能力給にあまり差をつけなかった。それで斎藤一郎は能力の差をつけなさすぎと批判したのだ。当時、電産の労働者にとっては斎藤一郎のような意見は受け入れられなかった。この証言で明らかなように電産の賃金体系は戦前の差別賃金を打ち破り、能力給部分も斎藤一郎のような人が平均化され過ぎていると批判したほどの内容なのだ。
その斎藤一郎が電産の闘いについて『戦後賃金闘争史』(上)(斎藤一郎著作集第13巻 68~69頁)において次のように述べている。
「基準外賃金によって基本給をおぎなうような賃金体系をつくりあげたことは、重大な誤りであった。それは低賃金を容認し、労働時間の延長と長時間労働をみとめることになるからである。…こうした誤りは、その後、賃金闘争の正しい発展をさまたげる一つの要因となっていることは、見逃すことはできないだろう。」「労働組合にこのような賃金理論を教えたのは、共産党であった。」とその担当者の長谷川浩(政治局員)の誤りであると批判している。しかしこの斎藤一郎の電産批判はのちの電産の分裂と後退の現実を踏まえたうえでの、あとから言えるような話であって同時代を闘い抜いた当時の斎藤一郎の見解とも異なるのでないか。斎藤一郎の批判には正しい側面もあるが、共産党―長谷川浩批判で切り捨てている点には違和感がある。その意味で私は足立長太郎氏の証言に依拠したい。
「電産型賃金で評価されるのは、これまでの職階制による賃金形態を一応廃止したことにあると思います。書記とか主事とか、そういった職階を止めさせました。これは、ある意味では名目的であり、まあ幻想に近かったのですが、とにかく建前として廃止したのです。協定書でも『賃金ニツイテハ資格、階級制度並ニ学歴、性別ニヨル不平等ナ取扱ハシナイ』(第2条第2稿のホ)と明記されています。これまでは学歴給、さらには縁故給などもあり、女性の給与は別表になっていて、男性とは大きな格差がありました。新しい賃金体系の結果、これまでの使用者における差別的、恣意的査定は無くなり、基本給は生活保障給、能力給,勤続給で構成され、賃金制度における平等性は形の上で確保されたと思います。」(65頁)
この電産が闘った10月闘争の時期はまだ憲法も労働組合法もない時だ。賃金理論などもない。東北配電の委員長であり中闘委委員長でもあった入江浩は共産党員である。「労働力の再生産費」という言葉を所々で使っている電産の指導部の中にマルクス主義を学んでいる労働者が少なからずいたことは推測できる。しかし電産の要求と闘いは「自ら知恵を出し合って策定した賃金体系」(64頁)というのが真実であろう。
「電産型賃金の特徴は、繰り返しになりますけれども、生活費を基礎とした最低賃金制の確立をめざしたものです。生活権の擁護と生存権の確立、この理念はのちに日本国憲法の中で裏付けられるわけですが、従業員の生活保障を前面に出して組み立てた賃金体系でした。前回、この電産型賃金の種本となったのは、小倉金之助の『家計の数学』(前出)であると申し上げました。カロリーを基礎とする理論生計費を出しますけれども、『家計の数学』を援用してエンゲル係数を出し、インフレの進行を勘案してエンゲル係数を何バーセントとするかを決め、これに能力給と勤続給をからませて組み立てておりました。だから、基準労働賃金については非常にわかりやすかったのです。また、インフレ時代に労働者はどう労働生活を営むのかという論理があり、インフレ生活の中でも最低生活を営むことができるよう賃金を物価にスライドさせたことも評価されると思います。いま『労働力再生産の保障』といわれましたけれども、電産型賃金は,労働者ないしは人間として、これぐらいの賃金でなければ生活が出来ないじゃないか、雇用しているかぎり従業員の最低生活を保障すべきであるという論理で組み立てられていたのです。」(65頁)
退職金制度も画期的だ。退職金制度については戦前の東京電灯の30年在職、55歳定年で、本給の100カ月、退職後10年の生活を保障できる金額だった。この基準を戦後も適用させた。当時の金で100カ月というと1万円で自分の家を立てて、長屋を2軒建て、老後はその家賃で暮らしていける額だそうだ。
足立氏は第一次読売争議に衝撃を受け、関東配電の労働者や全国の労働者が勇気づけられ、自信を持ったという。関東配電の労働者は1946年1月11日に賃金5倍値上げ、8時間労働制の確立、月給制の確立、職制の民主化、組合の経営参加、職員の電灯料金会社全額負担などの革命的要求を掲げて闘いに立ち上がった。団交は大衆団交でこれが戦前の労働組合のやり方だと先輩が指導してくれたという。
その後電産の10月闘争は5分間の歴史的停電ストライキを打ち抜き、「職場の主人公は俺たちだ」という意識をもたらし、勝利するのである。戦後革命期のダイナミックな労働者の闘いが電産型賃金体系を生み出し、他産別にも多大な影響を与えた。読売争議が電産の労働者に衝撃を与えたように、電産の労働者の闘いは全労働者に影響を与えたのである。

第2章 同一価値労働同一賃金論との対決

第1節 合同・一般労働組合全国協議会かUAゼンセンかの闘いに突入!


『同一価値労働同一賃金』原則はILO第100号条約「同一価値の労働についての男女労働者の同一報酬に関する条約(1951年)として国際的に明確にされており、日本政府もこの条約を1967年に批准している。そのことを基礎として1992年の女性問題研究会による国際シンポジウム「雇用平等の最前線」を契機に、『同一価値労働同一賃金』原則を使って賃金差別を裁判に訴える女性たちの動きが広がりはじめた。我々的には『同一価値労働同一賃金』論は業績評価制度・能力主義そのものとして論外の賃金論だ。しかし、京ガス裁判闘争、昭和シェル事件は『同一価値労働同一賃金』原則をもって賃金差別を争い、原告が勝訴した。京ガス裁判で詳細な職務分析・職務評価を行った「森ます美意見書」を裁判所が採用している。森ます美は昭和女子大学人間社会学部・教授であり、『同一価値労働同一賃金』論のイデオローグとして、多くの論文や著作をあらわしている。連合系月刊誌『労働調査』(2016年3月号)は「同一価値労働同一賃金の実現に向けて」の特集を組み、UAゼンセンの常任中央執行委員の松井健の論文と共に森ます美の論文等を掲載している(後述)。
CTS(JR千葉鉄道サービス株式会社)にかけられた就業規則の改悪攻撃と労働法制改悪、同一価値労働同一賃金論は総非正規化攻撃そのものである。UAゼンセンは同一労働同一賃金ではなく、『同一価値労働同一賃金』原則を鮮明にしている。安倍はUAゼンセンの「賃金論」を梃として全労働者の非正規化を行おうとしているのだ。マルクス主義者を自称する「左翼」の中にも『同一価値労働同一賃金』論を正しいものと思い込んでいる輩がいる。その意味で『同一価値労働同一賃金』論をUAゼンセンの「賃金論」と共に、的確に批判することが必要である。
京ガス賃金差別裁判京都地裁判決(2001年9月20日)は日本ではじめて『同一価値労働同一賃金』原則が採用され、原告が勝訴した裁判として有名であり、原告の屋嘉比(やかび)ふみ子さんと弁護団の声明はレーバーネットジャパンのホームページに掲載された。屋嘉比さんのインタビュー記事もネットで読むことができる。そこで彼女は「『職務』という概念でその価値を測る」ことで対等性を獲得できる」「職務分析をして職務評価をすることが必要」と述べ、森ます美意見書について言及している。「違った仕事を(1)知識・技能(2)責任(3)精神的負担と疲労度(4)労働環境の4点で検討し、それぞれの職務の価値を比較評価するものです。看護師と運転手のように違った仕事でも、職務評価をしてその価値が同じであれば男女や正規・パートなどの違いを問わず同一の賃金を支払うべきとするものなんです」
京都地裁判決は原告の女性の職種と男性管理職の職務とを比較して「それの困難さにさほどの差はないもの、すなわち、その各職務の価値に格別の差はないものと認めるのが相当である」との判断のもとで、労働基準法第4条(男女同一賃金の原則)違反として原告の主張を認めた。2003年1月の昭和シェル事件判決も仕事を基準にして賃金差別を認定した。
1992年8月27日に出された「日ソ図書事件」東京地裁判決は『同一価値労働同一賃金』原則をもって争った裁判ではないが、職務内容、責任、技能(労働の質と量)を挙げて、会社に男女間の格差を是正する必要があるとして、違法な賃金差別であることを認めた。他いくつもの裁判例があり、多くは原告が勝訴している。
しかしながらこの論理は職務から要求される4つの要因を考慮して、職務にどのくらいの価値があるかの点数をつけて点数が同じならば同じ賃金を支払え、という業績評価制度・能力主義に屈した論理である。正しくない論理で裁判闘争に勝訴し、賃金差別を認めさせたとしても運動的には誤りである。

第2節 『日本の性差別賃金 同一価値労働同一賃金原則の可能性』
(森ます美著 有斐閣 2005年6月10日初版第1刷)の論理


本書の第10章で京ガス男女賃金差別事件について詳細に展開されている。この事件は1998年4月27日に京都地方裁判所に提訴された京ガスの男女差別事件(平成10年(ワ)第1092号)の原告焼屋嘉比ふみ子さんと弁護団が森ます美に依頼して同一価値労働同一賃金原則の観点から京都裁判所に「森意見書」を提出し、この意見書が差別賃金を認める決定打となった。本事件の訴状は原告が同期入社の男性社員S監督職との差別賃金の差額と慰謝料の支払いを要求している。原告は積算・検収の事務職で、Sさんはガス工事の監督職である。会社は原告とSさんの賃金の格差は職種と人事考課の積み重ねの差であり、男女差別ではないと主張していた。原告の年収は435万1140円、Sさんの年収は620万7300円である。同一価値労働同一賃金原則の意見書というのはガスという職種ではありながら、異種労働の仕事の職務の価値を比較して価値が同じであることを立証しようとする。したがって意見書は原告の仕事の内容を詳細に展開し、同時にS監督職の仕事内容を詳細に展開する。そのうえでカナダのペイ・エクイティ法の手法にしたがって職務評価に点数をつけていく。1000点満点のうち、1、知識・技能に40%を配分し、2、責任に15%、3、精神的・身体的な負担と疲労度に30%、4、労働環境に15%。1~4のファクターも細分化される。1の知識・技能のファクターはa~eまで細かく細分化される。a ガス工事に関する知識・技能、b 製図に関する知識・技能。c コンピューター操作技能 d 対人折衝技能 e 問題解決能力。2の責任はf 業務に対する責任 g 利益目標に対する責任。3の精神的・身体的な負担と疲労度もh 注意力・集中力、i 身体的な負担・疲労度、j 時間の制約や業務の締切期限による精神的・肉体的ストレス。4の労働環境はh 自然的・物理的な環境、l 労働時間の不規則性。a~lのファクターも更に細分化されて点数をつける。
森ます美の採点は原告が838点でS監督職は780点で107対100となり原告の方が点数が高かった。しかし年収は78対100と22%低いのである。京都地裁判決はこの賃金格差が女性差別によるものと判示し、670万円の損害賠償を認めた。しかしこの判決は職務の価値だけでなく、勤務成績等諸般の事情も考慮されるべきで、その立証が不十分として「控えめに算出」したS監督職の「概ね8割5分に相当する」との矛盾した判決だった。会社は控訴し、その後控訴審で和解が成立している。

第3節 同一価値労働同一賃金原則と欧米のペイ・エクイティ運動

原点は1951年のILO第100号条約=同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約である。これに踏まえて79年の女性差別撤廃条約(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)にその原則が反映されているという。
「同一価値労働同一賃金原則(EqUAl pay for work of eqUAl value)とは、看護師とトラック運転手のように異なる職種・職務であっても、労働の価値が同一または同等であれば、その労働に従事する労働者に性の違いにかかわらず同一の賃金を支払うことを求める原則である。異なる職務の価値を比較する手段は職務評価制度であり、性に中立な職務評価ファクターと評価方法の採用が重要なカギを握っている。この原則において、比較・評価されるのは男性あるいは女性が従事する職務そのものであり、その職務に従事している男性個人や女性個人ではない。したがって職務評価制度は、職務の内容を評価するのであって、人を評価するのではない。」(『日本の性差別賃金 同一価値労働同一賃金原則の可能性』森ます美著 有斐閣 2005年6月10日初版第1刷 161頁)というが、先の京ガス裁判の「意見書」を見てわかるようにあくまでも個々人の能力そのものである。しかも当該だけでなく他者との比較競争関係において、職務の価値を決めるという業績評価制度や能力主義そのものの手法である。
連合系の労働組合のための調査雑誌に経営の側から職務評価について書かれているが、ここにはごまかしが無いので『同一価値労働同一賃金』がいかなるものかよくわかる。職務評価なるものは極めて恣意的であり、誰が何を目的に行うかで180度違ってくる。公正・客観的・中立な職務評価があるわけがない。現実にこの職務評価を行うのは経営コンサルタントであり、経営の側の職務評価にならざるを得ないのである。
「もう一つの重要な点は、唯一最善の職務評価法はないことであり、その背景には以下の二つことがある。一つは、評価対象となる職務の範囲は一律に決まらず、何が望ましい範囲であるかは企業の人材活用の考え方に依存していることである。もう一つは、職務評価は経営にとっての『仕事の重要度』を評価するので、評価尺度は会社の経営の考え方に依存することである。営業重視の会社であれば対外的な対人関係の難しさを、新製品開発を重視する会社であれば仕事に求められる専門性を重視する職務評価を行うことになろう。」(『労働調査』2016年3月号6頁「人事管理から『同一価値労働同一賃金』について考える」(今野浩一郎 学習院大学経済学部・教授)
『同一価値労働同一賃金』論のわかりやすい論文として「同一価値労働同一賃金原則(コンパラブル・ワース)と企業内男女間賃金格差の実証分析 三田商学研究第37巻第4号 1994年10月 許棟翰」論文がある。大学院商学研究科後期博士課程と末尾に記されているので博士論文であろうか。大学院でこういう研究がなされていることがわかる。この論文でも「職務評価要素とウエイト」という項目がある。前掲今野浩一郎が述べているように職務評価をする人間がどういう点にウエイトを置くかは極めて恣意的である。企業の社長がどこを重視するか。特定の企業の中でも評価基準は異なる。許論文では教育水準8、経験25、責任30、技能20、環境条件5、協同12と責任に一番ウエイトを置いている(62頁)。そうしてこの企業の54歳のシステム部部長の評価点数は95点。年収1200万である。52歳の管理部の室長代理は85点で900万。26歳の営業主任は65点で370万。システム部のパート労働者は20点で130万円である。95点で1200万の年収と20点で130万円の労働者を比較すると点数が4・75倍なのに賃金は約9倍の差がある。だからパート労働者の賃金を130万円から600万円にしろというのが『同一価値労働同一賃金』の考え方である。470万円の賃上げになるため、これが現実となれば資本としても容認はできない。しかし、これはあくまで許の職務評価であり別の誰かが行えば点数が10点になるかもしれないし、50点になるかもしれない。どれだけ詳細に職務評価を分析しても主観的・恣意的評価に過ぎない。点数が10点なら130万の年収で良いというのが『同一価値労働同一賃金』の考え方である。これが彼らの均等待遇ということだ。
森ます美や木下武男ら「同一価値労働同一賃金原則」の論者の論理は、①年功賃金制度の根底に男性世帯主による「家族賃金」=男性労働者の世帯扶養賃金が軸にあって女性労働者の賃金は家計補助的賃金でしかない。この「家族賃金イデオロギー」が女性差別賃金を容認してきた。②したがって「世帯単位賃金」でなく「個人単位賃金」を求めるべきなのだという。その代表的論客が伊田広行(『20世紀労働論』1998年 青木書店)である。竹中恵美子、木下武男も同様のことを述べている。UAゼンセンが採用している論理を打ち出したのが竹中恵美子で同一価値労働同一賃金原則の適用にあたっては労働力の再生産費との整合性をはかるために「次世代の再生産費部分は、直接賃金とは異なる間接賃金(社会保障としての児童手当など)として支払うというように、賃金の支払い形態は変容せざるをえないであろう」(前掲『日本の性差別賃金 同一価値労働同一賃金原則の可能性』より孫引き293頁)と述べている。マルクスが『資本論』で展開している賃金は子供を含む労働者の労働力の再生産費という考え方を全否定し、個人単位の労働の対価としての価値を基準として賃金が支払われるべきだというのである。
森ます美自身が吐露しているように「同一価値労働同一賃金原則」の決定的弱点は「この原則は、それ自体としての賃金水準を規定するものではない」(同293頁)ことである。即ち男性労働者との比較において差別賃金に反対するだけの論理のため、男性労働者の賃金が引き下げられた場合は何の意味もない論理となる。だから「生活賃金の確保を目指すリビング。ウェッジ運動との連携など包括的な賃金運動の展開が求められる」(同)と書かざるを得ないのである。

第4節 UAゼンセンの「賃金論」と非正規雇用に対する論理

連合系月刊誌『労働調査』(2016年3月号)は「同一価値労働同一賃金の実現に向けて」の特集を組んだ。目次は次のようになっていて、UAゼンセンの常任中央執行委員の松井健の論文はホームページ上に公開されている。
1. 人事管理から「同一価値労働同一賃金」について考える 今野 浩一郎(学習院大学経済学部・教授)2. 公平・公正な賃金の国際基準は「同一価値労働同一賃金」森 ます美(昭和女子大学人間社会学部・教授)3. 同一労働同一賃金と集団的労使関係システム 濱口 桂一郎(独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT) 主席統括研究員(兼労使関係部門統括研究員))4. 「同一労働同一賃金」に関する連合の取り組みと今後の課題 村上  陽子(日本労働組合総連合会(連合)・総合労働局長)5. 同一価値労働同一賃金とワークライフバランス 松井 健(UAゼンセン・政策・労働条件局・常任中央執行委員)
松井は「『同一価値労働同一賃金』は、同一ではない労働に関しても適用する考え方となるが、まとめて『同一価値労働同一賃金』と表記する。また、労働の価値は働き方を含めて評価するべきと考えるが、働き方を除いて労働内容のみを評価する場合は『狭義の労働の価値』と表記する。…労働の対価としての賃金は、『同一価値労働同一賃金』の考え方により決定すべき」(同27頁)と最初に定義している。更に賃金については「賃金決定において生計費を反映することを一概に否定することはできないが、少なくとも基本賃金は狭義の労働の価値に応じて決定し、生計費の反映は手当で行うよう整理するべきと考える。」と続ける。別のところでは「生計費の配慮は社会保障で行うという方向性が望ましい。」(同)とも述べている。賃金は労働力の価値の価格表現であり、労働力の価値とは労働力の再生産費であり、生活手段の価値によって間接的に規定されるという賃金の原則を完全に否定している。労働者が生きていける生計費分としての賃金を獲得するという立場はない。賃金は生活給、生計費ではなく、労働の価値なので足りない分は手当か社会保障で補うべきだというのだ。これがUAゼンセンの松井の『同一価値労働同一賃金』のベースにある考え方だ。
労働契約法18条の無期転換規定に関連して「有期契約に対するプレミアム」を「手当てという形で切り出して支払うべき」との主張は許しがたい。「無期転換が定着していけば、繰り返し契約更新を予定している疑似有期契約と本来の期間限定の有期契約の区分けが進むのではないか。」(同28頁)というのである。多くの有期契約は契約期間を超えて反復更新されることが多い。これを松井は「疑似有期契約」と言い、無期転換ルールができたために、逆に例えば半年、1年という有期契約で厳格に雇いとめする雇用形態との区分が進むというのである。「有期契約に対するプレミアム」というのは雇用契約満了で必ず雇いとめになる労働者には何がしかの「手当」を出して速やかに首になるべきというのである。CTSの就業規則改悪攻撃はこの松井のいう具体である。松井はこの論文を通してそういうあり方を提唱しているのだ。
「労働時間の長さと賃金をどのように対応させるかは非常に難しい課題である。労働の評価と労働時間の長さの関係は、労働の性質により異なる。」(同30頁)という考え方は『同一価値労働同一賃金』論の反動性を露骨に表現している。そこで松井は「労働の種類」を3つに分類する。「第一は労働の評価が労働時間に比例し、個人差の小さい労働を考える。定型的な作業が中心で、時間給で賃金が決まるような労働である。そのような労働の場合は、賃金は労働時間に比例することを原則とすべきである。」(同)と規定する。「第二に、労働の評価が労働時間の長さとは相関せず、かつ個人差の大きい労働がある。研究開発で裁量労働のような労働が考えらえる。そのような労働は労働時間にかかわりなく、労働の評価によって賃金を決定することになる。労働時間と労働の評価が相関しない」。「第三に第一と第二の中問的な性格の労働がある。労働の評価はおおむね労働時間に比例し、個人差がそれなりにある労働である。技能職や営業、企画など、多くの労働がこれに該当するだろう。…その場合は、標準時間労働に対する個々人の評価により決まる賃金を基準に、労働時間に比例した賃金とすることが考えられる。」(同)
こうして第一の分類の労働者は「職務内容が定型的で企業業績の変動に与える影響は少ない」ため賃金は「時間給×労働時間」とすべきで、現在の契約社員やパートタイマーがこれに該当するとしている。労働時間で基本賃金を決定する労働者は全員有期労働契約とするというのだ。第二・第三の「職務内容、責任が企業業績の変動に与える影響が大きい」現在の正社員や短時間正社員は企画・管理型で基本賃金は「役割給」とするとしている。この「役割給」というのは「現在は、学歴年齢勤続により銘柄(例えば、高卒35歳勤続17年の労働者)を決めて賃金水準の表示をしているが職務内容や能レベルで銘柄を設定することを目指している。職務評価を踏まえて代表的な職務、レベルでの銘柄設定を行い、個別賃金方式を進めて」いくということだ。正社員は「無期。長時間、転勤有」、短時間正社員は「無期、短時間指定、転勤無」としている。
以上のように『同一価値労働同一賃金』論は「違う労働」「違う職務」と労働の価値や質の違いをことさらに強調して、その下で雇用形態を細分化し、賃金体系も細分化する労働者を限りなく分断する、差別賃金と差別的雇用形態の集大成である。
UAゼンセンの157万の組合員の半数以上は正社員より時間が短い短時間労働者であり、フルタイムの「契約社員」、派遣社員、有期労働契約の非正規雇用労働者を組織している。「女性組合員の比率はおよそ6割となっている。そして、約2500の加盟組合のおよそ8割が300人未満の組合であり、中小企業で働く組合員も多い」(同26頁)という。非正規労働者をこういう論理で組織し、北方領土返還運動、拉致被害者救済運動へ動員し、安倍の戦争・改憲攻撃の手先にしようとしているのがUAゼンセンだ。全国協が前面に躍り出て、正規・非正規を問わず労働者を組織しなければならない。

第5節 『前衛』6月号-同一価値労働同一賃金論の推進者=日本共産党

党国民運動委員会の筒井晴彦は「特集 同一労働同一賃金―非正規も正規も改善を 賃金格差是正と均等待遇を実現する―ILO条約に立って」を書いている(68頁)
「同一労働同一賃金」は「同一価値労働同一賃金」へと前進したとして米国型の同一賃金法を評価する。筒井は労働基準法4条に同一労働同一賃金を明記するよう労基法の改悪を要求しているのである。更に「労働契約法、パート労働法、労働者派遣法、男女雇用機会均等法などが法改正の対象になります」(74頁)と法改正の必要を訴えている。安倍が一億総活躍プランで法改正を言い出すその先兵の役割を果たしたのが日本共産党なのだ。
更に同一価値労働同一労働のいうところのILO基準の「価値」とは「付加価値」といった経済学の概念ではなく「仕事の内容」という意味だとご都合主義的に解釈している。1950年当時、「価値というのは使用者にとっての価値である」「同一価値労働とは同一価値の生産を意味する」などという意見を否定して「仕事の内容」の意味だと規定したのだという。しかしこの「仕事の内容」とは職務評価、業績評価、能力主義そのものであることは森ます美の著作を見れば明らかであり、生協労連中央執行委員長・北口明代の「生協パート労働者の実態―同じ仕事なら同じ賃金を」(89頁)でも証明されている。北口明代は昨年の8月に「職務に応じた待遇の確保のための推進法」の参議院厚生労働委員会の参考人として発言をしている人物である。
北口明代は労働契約法18条を活用し、法律より前倒しで35生協約3万5千人のパート、アルバイトなど非正規労働者の無期転換を勝ち取ったことを「山が動いた」と自画自賛する。しかしこれは永久に非正規労働者であることを固定化したに過ぎない。
「したがって、本当に残された課題は、賃金の均等待遇の実現です。そのために生協労連は、同一価値労働同一賃金原則の導入が必要であり、価値を客観的に計るために職務評価を広めているところです」(93頁)と述べている。同ページで2013年にコープ愛知で実施した「職務評価」が紹介されている。森ます美の採点方法と同じだ。正社員は634.2点、パート・アルバイトは562.8点。100対89の点数しか違わないのに、賃金は半分だ。「これを職務評価に見合った賃金とすると2138円が本来もらうべき時給となる」(同)と書かれている。
生協労連は昨年5月「正規男性中心の家族的な社会システムから、一定の収入で人間らしく生き暮らせる新しい社会をめざす」政策提言(1次案)を打ち出しました。『賃金(収入)だけに極度に依存する社会ではなく、一定の収入のもとであれば社会保障・セーフティネットがきちんと働いて、誰でもが人間として自分らしく生き暮らせる社会の実現をめざす』というものです」(95頁)。
これはヌエ的な表現をしているのでわかりにくいが基本はUAゼンセンの松井と同じ論理だ。労働者と家族が生きていける賃金を要求してはならない。賃金はシングル単位のものだ。何故なら仕事の価値だから家族の分まで要求することはできない。子供の分は社会保障で行うべきだという松井の論理と同じだ。生協労連の方針は一生非正規を推進し、非正規雇用に対応した賃金体系としての同一価値労働同一賃金論の推進者である。安倍の同一労働同一賃金では不十分だ。生協労連はそれより進化した同一価値労働同一賃金原則を主張しているのだと述べている。生協労連は全国の地域生協、大学生協、学校生協などで組織する連合体で、65000人の組合員を擁していて、7割が非正規労働者だという。UAゼンセンと双璧を為す同一価値労働同一賃金推進の生協労連に全国協がとって変わらなければならない。組織化が勝負だ!

結語

動労総連合東京の結成大会が6月1日に行われ、6・4に結成集会。6・5に国鉄闘争全国運動全国集会が開催され、6月22日公示―7月10日の参院議員選挙戦が闘われる。
「私たち国鉄東京動力車労働組合(動労東京)は、動労千葉が結成以来40年にわたって闘い、切り開いてきた階級的労働運動を、東京において、JRとJR資本傘下のすべての職場に打ち立てる決意です。」「いま、東京に新たに『動力車労働組合』を結成することは、国鉄分割・民営化反対闘争が切り開いた勝利の地平の上に、いよいよ、安倍政権を支える最悪の企業として名乗りを上げたJ R東日本との闘いを本格的に開始し、1000万労働者階級人民の怒りを根底から解き放つ階級的労働運動の拠点を首都・東京において作り出す歴史的な挑戦です。」(結成大会議案)を掲げて登場した、
動労総連合を合同・一般労働組合全国協議会の組織強化と一体で強大なものにしていくために全力で決起しよう!
重要なことは憲法改悪も労働法制の全面改悪も国鉄闘争が阻止してきた。その国鉄闘争を解体できないまま、改憲と労働法制改悪攻撃に踏み切ってきたところに安倍政権の破算性がある。動労総連合東京結成は東京の労働運動に地殻変動情勢をもたらす。動労水戸の被爆労働拒否の闘いと常磐線全面開通阻止の闘いは東京のJRのすべての労働者を巻き込んだ闘いになる。鈴木たつお弁護士を押し立てた闘いは東京における労働運動の拠点建設の闘いそのものであり、合同・一般労働組合全国協議会の組織拡大の闘いそのものだ。
電産のその後の分裂と体制内化の攻防も国鉄分割・民営化と同様の問題だということがよくわかる。足立証言によれば関東配電と関西配電と日発は儲かっていた。しかし北海道、東北、四国配電は実質赤字だった。配電各社はプール制になっていて、赤字会社には黒字会社から資金がいくような流れの中で、全国統一の電産の賃金体系も可能となっていた。これが悪平等・悪平均という宣伝がなされ配電各社が経営別に分裂し、電産も分裂していくことになる。電産という労働組合を解体するために分割されて、御用組合と化していくのである。
しかし電産型賃金体系含め電産の労働運動は戦後革命期の歴史的闘いとして厳然として存在し、今日でもその闘いは生きて継承されている。遠藤公嗣のいうように「過去のものとなった賃金体系」でもないし、電産の闘いは国鉄闘争という形で生きているのだ。戦後革命として果たせなかった電産労働者の闘いを革命の現実性の中で開花させようではないか。

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